[黒川文雄のゲーム非武装地帯] 第66回: シェアビジネスの終りと始まり



ネットのある時代に生まれてよかったと思うことがよくある。もちろん、今の20代や30代の若者たちが感じるそれとは異なるが、抽象的な言い方をすれば、「あのころ(若いころ)にわからなかったことがわかるる」ということだ。

誰でも、なんでもできる時代

それらをよりくわしくいえば、たとえば昭和という時代には、必要ならばどこかに出向き、内容を聞き、確認、それから準備して、提出とか許可を取るという煩雑なフローを経て何かが完結する時代だった。しかし、今ではまったく異なる。

最近も自分で手続きをしたものが2件ある。1つは自家用車を停めている駐車場の前面道路がスクールゾーンで、時間帯による通行禁止規制のあるため、所轄の警察に「通行禁止区域通行許可証」を取得申請しに行った。

もう1つは、その自家用車のユーザー車検。どちらもネットにはくわしい説明のテキストやビジュアルフローがあり、申請書類もPDFなどで入手可能になっている。

このように、以前はわからないものや下調べが必要なもののほとんどがネットを使ってクリアできる。煩雑な届け出のたぐいも、ほぼネット上で完結できる。

インターネットよ、ありがとう!……知識がシェアできる、そんな時代になったことを実感する。インターネットの存在も、当たり前すぎて感謝の気持ちさえ感じないことの方が多いかもしれない。

世代によって異なる「あってよかった」

そんな「○○○があってよかった」という時代背景は、年齢によって異なることだろうか。ある世代は雑誌で、ある世代はテレビで、ある世代は携帯、ネット、パソコン、今はスマホ世代かもしれない。

私の世代を例にとると、『スペースインベーダー』などに代表されるビデオゲーム、音楽は「イエロー・マジック・オーケストラ」、それを再生するソニーの「ウォークマン」がライフスタイルを変えてくれた。さらに、それらを総合してカルチャー化し、カタログ化したものが、マガジンハウスが刊行した雑誌『POPEYE(ポパイ)』だった。

しかし、そんな和やかで緩やかな時代はとうの昔話になってしまった。

テレビ番組は通常の地上波に加えて、BS、CS、アマゾンプライム、Netflix、Huluなど有料課金チャンネル……。もはや、すべてを網羅することは不可能だろう。

音楽や書籍、マンガも電子化され、クラウド上のものを自由に聞ける、読める時代になった。フリーコピーという大きな社会問題はあるが、もはやコンテンツの価値観が変わってしまったのだ。

シェアってそんなに素敵なのか

昭和から平成、そして来年に迫る新しい年号の日本、世界にとって、今は新しい価値観と経済圏のリッセションが始まっている。それはBUYとかSELLではなくSHARE(シェア)という価値概念だ。

この価値概念はさまざまなドメインに拡大している。

中でも、私がリアルに経験することができたのはAirbnb、いわゆる民泊だ。6月に施行された民泊新法以前のことだが、私もAirbnbのホスト(=家主=貸主)を体験した。

普段は原稿や企画書、ゲームをプレイし、映像を観たりするために借りた小スペースの部屋だが、常にそこを使っていることはないため、自身のスキマ日程をAirbnbでシェアすることにした。

その中では、いろいろと面倒なこともあった。

ゲストが部屋のカギを誤って海外へ持ち帰ってしまったり、トイレが詰まってしまったり、備品が壊れてしまったこともある。

それらも含めて、海外のゲストとの交流は楽しい思い出の方が多く、できればこれを続けたいと思う気持ちは強かった。そして、空き時間、空きスペースをシェアすることで副次的な収入が見込めることもプラスの要素だった。

ネットに負けたのではなく人に負けた瞬間

しかし、ご存じのとおり、民泊にまつわるネガティブな要素が宣伝されるようになった。

同時に、昨年の12月には官公庁から民泊事業者に対して、6月15日からの民泊新法に対応できない物件の削除要請を通知。当初は、民泊事業者側は新法施行以降もすでに入っているゲストのブッキングを削除しないポリシーを表明してきた。

しかし、新法施行の直前の6月2日に、登録番号未入力の物件をポータルからの削除を実施。また、私個人が確認したところでは、予約済みのゲストに対して「未許可物件」のキャンセルを促し、「許可物件」へのブッキングを促進している。

欧米の民泊事業者ゆえに、日本政府の政策には外圧やタフなロビー活動でこれらの件を乗り切るのかと思っていたが、残念ながら観光庁、各所の地方自治体に完全に屈服したケースで落着。その結果、8割から9割のリスト(物件)が削除されてしまったのだ。

法律である以上、それに従う以外に道はありません。すでに私がシェアしていた物件はクローズした。これらのシェアサービスはポータルやネットに負けたというよりも、人間に負けたという思いがある。

リアルに勝るものがないという日常

私がこのシェアサービスを経て得たものは、おそらく金額に代えがたい経験だろう。ゲストに何かトラブルがあればそれに真摯に向き合ってきた。それによって、ちょっとした空きスペースと時間の有効活用もできた。

しかし、このところ、ちょっと前まであった「シェアサービス歓迎」というムーブメントの終焉を迎えつつあるのではないでだろうか。

シェアサービスとは若干異なるが、先日、Twitterが「偽アカウント」と想定されるものを一斉に削除をした。とある中堅ゲーム会社のコンテンツアカウントでは、それを境に約3,000アカウント減少したと聞く。

また、著名な芸能人などのSNSのフォロワーよりも、身近で、独特なカテゴリーでの一般人の方がSNSでのマーケティング的なリアクションは効果があるというエピソードも聞いたことがある。それだけ個人や生活に密着した方をフォロワーたちもわかっているのではないかということだ。

さて、ゲームはどうだろうか。

一時期の熱狂も徐々に覚め、選ばれしコンテンツのみがスポットを当たるような状況になっていないだろうか。アプリに疲れた、アプリに負けたような感覚を覚える。

グーグルのCEOだったエリック・シュミット曰く、

「Betting against the net is foolish because you’re betting against human ingenuity and creativity」(ネットが負ける方に賭けるのは愚かなことだ。なぜなら、人間の工夫と創造力が負ける方にかけるということだからだ)

といっている。

しかし、そのネットを作っているは我々の想像力やビジョンであり、ネットはそのツールに過ぎない。つまり、「民意の総意」=「ネット」に敵うものはないという意味と受け取っていいと感じている。

ネットでもなく、AIでもなく、最後はやはり人間がどのように考えるか、行動するのかを改めて感じることができた。先日、7月18日に開催した黒川塾62でゲストにお招きした元ソニーコンピュータエンタテインメント(現SIE)の会長だった久夛良木さんも「リアルに勝るものはない」という話をしていた。

音楽がメディアからライブへ移行したのと同じように、ビデオゲームがe-Sportsというリアルなシーンに向かうことも象徴的な出来事のように受け止めている。

人がシェア=みんなで分けあうことから、人がリアルに感じ、それらを手にするというスタイルに少しづつですが回帰しているような気がする。




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