マヤ文明を蝕んだ「赤い粉」のヤバすぎる正体




マヤ文明は高度に成長したのにも関わらず、急激に衰退し、滅亡した謎の多い文明です。この滅んだ理由は現在でも研究が続いているテーマですが、最近ではとある「赤い粉」がマヤ文明の衰退に関係していたのではないかという説が上がっています。


*Category:テクノロジー Technology|*Source:sciencealert,theconversation,nature,wikipedia(Cinnabar),wikimedia(Cinnabar)

マヤの遺跡で発見された汚染物質とは?


マヤ文明では、鮮やかな赤色の顔料が好まれていました。この赤い顔料は、ただ単にきれいだという理由からありません。彼らにとっては、この色には特別な意味合いがあったのです。

シンシナティ大学の地質考古学者のニコラス・ダニング氏は、「マヤ文明は、血液に魂が宿っていると考えていました」と語っています。そのため、この顔料は主に粉末として、装飾品に色をつけたり、埋葬などに用いられていました。

この顔料の原材料となっているのが、辰砂(しんしゃ)と呼ばれる鉱物です。別名としては「賢者の石」などとも呼ばれており、鉱物はそのイメージの通り真っ赤なうつくしい色をしています。


しかし、この鉱物には大きな問題がありました。実は辰砂には、人体に非常に有害な水銀が多く含まれています。マヤ遺跡は、この赤い粉、つまりは水銀に汚染されていたのです。

現に、最近の研究では、マヤ文明古典期の10ヵ所の遺跡の土壌を調べたところ、7つの遺跡で水銀が検出されました。さらに、その内1カ所で現代の有害基準値を超えるか同等の濃度の水銀汚染が確認されています。

この水銀の濃度が非常に高い地域は現在でも残っており、研究者に健康を守るために装備を整えるよう勧告されるほどです。

オーストラリア・カトリック大学の地質考古学者で、マヤの環境遺産に詳しいダンカン・クック氏は「このような水銀汚染は、通常、現代の都市部や工業地帯に見られます」と述べます。

しかし、マヤの環境は辰砂の生産に適した地質ではありません。そのため、マヤがどのようにしてこの金属を手に入れたのか、それが交易によるものなのか、あるいは化学的手法によるものなのかは、いまだ謎のままです。


とはいえ、古代マヤの都市の土壌や堆積物の奥深くから水銀が発見されたことは、マヤが何世紀にもわたって水銀を使用していたことを示します。水銀がマヤの健康にどのような影響を及ぼしたのかは、まだ完全には解明されていませんが、有毒な金属が少なくとも骨の奥深くまで入り込んでいたことを示す研究結果は増えてきています。

水銀は中央貯水池を含むいくつかの飲料水源にも入り込んでいました。汚染された水は飲料の他に農作物にも利用され、民衆に影響を与えたはずです。マヤの支配者の権威は、清潔な水の供給と強く結びついていたため、指導者がマヤの神々を十分に鎮めることができていないと考える人々もいたかもしれません。


また、支配者とその側近の飲料水や調理水も、ほぼ間違いなく宮殿や神殿の汚染された貯水池から供給されていたはずです。その結果、有力者たちは毎食、水銀を含んだ食品を食べていました。マヤの都市「ティカル」の最後の支配者の一人であるダークサンと呼ばれた王は著しく肥満だったとされています。これは水銀中毒によって引き起こされる代謝性疾患の症状かもしれません。

これらが直接マヤ文明の滅亡に繋がったのかは不明ですが、少なくとも多くの人々を悩ませ、争いの火種となった可能性は否めません。マヤ文明が貴重で神聖だとしてもてはやした「赤い粉」は、まさに身を滅ぼす毒だったのです。






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