売上40兆円、時価総額「Apple超え」の知られざる世界最強企業




世界で最も収益性の高い企業をAppleだと思っている人は多くいるはずです。Appleは全世界で最も認知度の高いブランドの1つであり、世界最大の企業でもあります。しかし、Appleは最も収益性の高い企業ではありません。最も収益性が高いのは「サウジアラムコ」という会社です。

このサウジアラムコという会社について、海外YouTubeチャンネル「Logically Answered」が解説しています。




*Category:テクノロジー Technology|*Source:Logically Answered,wikipedia

サウジアラムコとはどのような会社なのか?


サウジアラムコはサウジアラビアを代表する石油会社で、何十年にもわたってFortune 500の上位にランクインしています。

歴史的に見ても収益性の高い企業なのですが、過去12ヶ月間の利益は、これまでに見たこともないようなものです。

現在、コロナ渦後のインフレにより、世界中でガソリン価格が高騰しています。数ヶ月前のピーク時よりは落ち着いてきたとはいえ、歴史的に見ればまだまだ高値です。

しかし、この状況は石油会社にとっては天の恵みでした。ピーク時のサウジアラビアは、石油の輸出だけで1日10億ドル(約1,400億円)以上の利益を得ていたのです。

サウジアラムコの直近の12カ月間の売上は2,790億ドル(約40兆円)と、目を見張るような額になっています。この額はAppleの売上1,200億ドル(約17兆円)の2倍以上です。サウジアラムコの利益は、Apple、Google、Microsoftの3社の利益を合計した額とほぼ同じです。

さらに注目すべきは、原油価格が本格的に加熱してからまだ1年も経っていないということです。2022年の終わりには、サウジアラムコの12カ月間の利益はさらに膨らみ3,000億ドル(約43兆円)以上になる可能性があります。

これだけの資金があればサムスンを買っても、まだ300億ドル(約4兆円)残っています。

しかし、サウジアラビアにとって、物事がいつも好調だったわけではありません。100年前、サウジアラビアの大部分は、生き残りをかけて戦う部族の集まりに過ぎませんでした。

石油という資源に恵まれていましたが、それだけで帝国を築き上げるのは不十分だったのです。

ベネズエラはサウジアラビアより石油が豊富なだけでなく、何十年も前に石油を発見しています。このような国は大金持ちだと思われがちですが、貧しく、超インフレに見舞われています。

同じことが、世界第3位の石油埋蔵量を誇るカナダにもいえます。カナダがサウジアラビアよりはるかに長い間先進国であったことを考えると、サウジアラビアよりもずっと石油を活用できていても不思議ではありません。

なぜサウジアラビアは石油ゲームの勝者になれたのでしょうか。

サウジアラビアは決して石油ゲームに早くから参加していたわけではありません。むしろ遅く参加しています。そして、石油への参入も特に戦略的なものではありませんでした。どちらかというと、必死の賭けだったのかもしれません。

サウジアラビアが石油を探す前は、サウジアラビアという国自体が存在しませんでした。国ができる前は、サウード家とラシッド家という2つの家が支配しており、常に対立していました。サウード家がトップになることもあれば、ラシッド家がトップになることもありました。

しかし、世紀末から1900年代にかけて、この状況は一変します。

当時、ラシッド家がトップで、サウード家のリーダーであるアブドゥル・アジズ・アル・サウドはクウェートに亡命していました。しかし、アブドゥルはラシッド家のことを忘れておらず、1902年に反撃を計画していました。

そして1902年、アブドゥルはリヤドを奪還し、これを皮切りに再び支配権を獲得します。

ラシッド家は以前のアブドゥルと同じように亡命を余儀なくされましたが、これで終わりというわけではありませんでした。サウード家は、ラシッド家がいつでも反撃できることを知っていたのです。

そこで彼らは、ラシッド家が反撃できないように、この地域を発展させることに着手しました。ただ、ラシッド家は1921年に解体されることになり、反撃は起こりませんでした。

しかし、サウード家は当時それを知らなかったため、無敵の戦力を作ることに取り組み始めたのです。その第一歩として、正式な国を作ることに繋がります。そして、1932年9月にサウジアラビアが誕生します。

これで正式に国ができたわけですが、経済がなければ意味がありません。

周囲を砂に囲まれたサウジアラビアでは、経済的な選択肢はあまりありませんでした。実際、選択肢は2つだけだったのです。

1つ目の選択肢は、海へのアクセスを利用する方法です。具体的にいうと、港をつくる、真珠を獲りに行く、魚を獲りに行くということです。しかし、これは彼らが何千年も前からやっていたことです。

アラビア半島での真珠採りは、7000年前に遡りますが、現在の状況を考えると、明らかに採算が合いません。

2つ目の選択肢は、宗教的な意義を利用することです。サウジアラビアにはメッカがあり、毎年何百万人ものイスラム教徒が巡礼に訪れています。

しかし、サウジアラビアは、宗教に傾倒しすぎると自分たちの権力が脅かされるのではないかと考えました。そのため、サウジアラビアはメッカを破壊し続けています。現に、この37年間で、サウジアラビアはメッカの歴史的建造物の95%を破壊しています。

つまり、イスラム教のバチカン市国になることは最優先事項ではなかったということです。

海と宗教が経済的な選択肢から外れたサウジアラビアは、既成概念にとらわれない発想が必要でした。そして、石油という賭けに出るまで、そう時間はかかりませんでした。


建国からわずか1年後、サウジアラビアはカリフォルニアのスタンダード・オイル・カンパニー(SOCAL)と石油利権協定を結びます。後に社名はアラビアン・アメリカン・オイル・カンパニー(通称:アラムコ)に変更されます。

そして1938年、金鉱を掘り当てます。しかし、サウジアラビアの利益の大部分はアメリカ企業に流れ、サウジアラビアにはわずかな配当金しか残らないという状況が何十年も続きました。

これは一見不公平に見えますが、実はサウジアラビアにとってこのパートナーシップには大きな価値があります。確かに、短期的な利益を得たのはアメリカかもしれませんが、長期的な投資をしたのはサウジアラビアなのです。

数百万バレルへの拡張は決して安いものではなく、そのコストを負担したのはアメリカです。アメリカが提供したのは、資本へのアクセスだけではありません。当時のサウジアラビアにはなかった専門知識も提供しているのです。

例えば、1940年代には、当時世界最長であった1,200kmの石油パイプラインの建設に協力しています。また、1951年には、現在でも世界最大の海底油田であるサファニー油田の発見をサウジアラビアが行うのをアメリカが支援しました。

アメリカは利益のほとんどを独占していましたが、同時にサウジアラビアの技術向上にも繋がっていたのです。

サウジアラビアにとって石油産業への参入は偶然の産物でしたが、サウジアラビアは戦略的にカードを動かしていくことを決意しました。

その好例が、1960年のOPECの結成です。OPECとは、産油国の石油連合体です。

サウジアラビアがアラムコを国有化しようとしたのは1970年代に入ってからです。サウジアラビア政府は1973年に25%、1974年に35%、1980年に40%の株式を取得しました。

買収額は明らかにされていませんが、サウジアラビアは市場価格よりも安く購入したといわれています。専門家の予測では15億ドル(約2,000億円)から20億ドル(約2,800億円)の間と言われています。

この価格はインフレを考慮しても、2022年の150億ドル(約2.1兆円)程度にしかなりません。

ちなみに、現在のサウジアラムコには2兆ドル(約289兆円)以上の価値があります。また、アメリカが去ってから石油生産量はそれほど増えていません。

そして、サウジアラビアはサウジアラムコを正式に買収したのです。

ここまでの道のりは、ベネズエラとさほど変わりません。サウジアラビアはエクソンを呼び、何十年も搾取させ、最終的に乗っ取っています。これは、ベネズエラがシェルに行ったことと同じです。

石油の発見と国有化に関しては、むしろベネズエラの方がサウジアラビアより先を行っていたのです。では、なぜこの2つの国は両極端な結果になってしまったのでしょうか。

結局のところ、経営と戦略に尽きます。多くの人はサウジアラビアのような権威主義的な政権を好みません。しかし、サウジアラビアは独裁的であることが国を助けた数少ない例の1つです。

サウジアラビアの王や王子たちは、利己的な理由を気にする必要がなかったため、常に大局に集中することができました。なぜなら、国がうまくいっている限り、彼らの一族は支配力を維持し、自分たちも大金持ちになれる可能性が高いからです。

しかし、ベネズエラの指導者たちはそうではありませんでした。20年後、30年後に国が良くなっても、彼らの家族が良くなるとは限りません。つまり、権力の座にあるうちに、盗めるだけ盗んでおかなければならなかったということです。

1972年から1997年の間に、国の役人だけで1,000億ドル(約14兆円)もの横領が行われたのはこのためです。

また、サウジアラビアの外貨準備高が4,730億ドル(約68兆円)であるのに対し、ベネズエラの金・通貨準備高がわずか100億ドル(約1.4兆円)であるのもこのためです。

サウジアラビアは、長期的な決断をしてお金を貯めるだけではなく、このお金をベネズエラよりはるかに効果的に再投資しているのです。

そして、サウジアラビアはその資金を、ビジネスの構築、経済への投資、国際的な人材の確保に充てています。

サウジアラビアのエンジニアの85%、サウジアラビアのCEOの18%が実は国外居住者であるのはこのためです。

一方、ベネズエラは社会主義を取り入れ、社会プログラムや様々な日用品の補助金などにお金を使いました。つまり、サウジアラビアが石油への依存度を下げていく中で、ベネズエラは石油への依存度を高めていったのです。

ベネズエラのやり方は、石油が強いときはうまくいくのですが、石油が弱くなるとそうはいきません。そして、2014年に原油価格が暴落し、ベネズエラ経済は崩壊することになります。

この暴落はサウジアラビアにとっても楽しいものではありませんでしたが、数十年にわたる正しい決断の積み重ねによって乗り越えることができたのです。

現在、サウジアラムコは世界最大級の企業であり、最も収益性の高い企業です。もちろん、この異常な原油価格がいつまでも続くわけではなく、いずれは冷え込むはずです。

つまり、サウジアラムコの利益も時間とともに冷え込むということです。おそらく、年間3,000億ドル(約43兆円)の利益が1,000億ドル(約14兆円)程になるでしょう。

また、長期的に見ると、世界は徐々に石油から離れていきます。ただ、サウジアラビアも自ら徐々に石油から離れているため、この影響はそれほど大きくはないでしょう。

サウジアラビアが石油を発見して以来、極めて戦略的にカードを使ってきたことを考えれば、今後数十年の間で状況が大きく変わることはありません。サウジアラビアは、経済的には権威主義体制が実際にうまくいった数少ない国の1つなのです。




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